30年以上前の話になりますが、弟が入院中に母が体験した話です。
私は4人兄弟です。
弟が4才の時、突然ひきつけを起こして救急搬送され、そのまま意識不明に陥り、意識不明のまま1ヶ月以上が経過。
搬送された病院は搬送したからには小児科はあるのはあったのでしょうが、入院患者にはお年寄りばかりで子供は弟だけ。
意識の戻らぬ4才弟に医師が父母に告げたのは、ここではもうどうする事も出来ないし、このまま延命処置をしても助かる見込みはない。
という言葉でした。
早い話が、延命処置はもうやめて諦めた方がいいと医師が匙を投げたという事です。
それでも、最期まで出来るだけの事をしたいという事ならば、大学病院を紹介するから大学病院に…と。
父母は、もう助からないと告知され、泣きながらも大学病院への転院を決め、弟は意識不明のままに救急車で大学病院に転入院しました。
今なら問題視されそうな話ですが、助からないと匙を投げられた弟は、大学病院に転院してようやく病名が判り、意識も戻り治療方向が決まり、少しずつ回復の兆しをみせた矢先に、小学2年生だった姉が何日も熱を出し、診てもらった所、弟と同じ病気である事が判明。
年齢的にも体力があったせいか、姉は意識もありましたし、弟のような危篤にはなりはしませんでしたが、治療は弟と同じ。
姉も入院を余儀なくされました。
弟が入院して既に2ヶ月が過ぎ、付きっきりで看病していた母は、心身ともに疲れてた事でしょう。
よくよく考えれば、おかしくない?
と思う事もありはするんで、もしかしたら母の夢?なのかもしれないんですが↓
姉と弟の病室は7F
売店は3Fにありました。
エレベーターはいつも満室で平日でも7、8人は同乗しており、土日祝日なんかは見舞い客で乗りきれず次のを待つという事もよくあったそうです。
ある日、母が売店に行こうとエレベーターに乗りました。
乗った時には医者や看護師?も含めて7、8人が乗っていたそうです。
エレベーターですから、7Fから3Fというのはすぐ…の、はずなんですが、乗ってすぐからの母の記憶はありません。
母がハッと気がついた時には、エレベーターには誰も乗っておらず、売店も通りすぎていて、母は自分が疲れてたんだなぁ~と、そこが何階かというのは気にしなかったので、階ボタンが点灯してたかは見てないまま、売店のある3Fのボタンを押しました。
その瞬間、頭がズシッと上から押さえつけられるように重くなり、エレベーターのドアが開いたそうです。
大学病院なのに、ドアの前の廊下はやたら狭く、奥行きもなく、そして…誰もいない。
エレベーターの正面にドアがあり、非常口ランプの下に「霊安室○」と書かれていたそうです。
○が何て書いてたのかは覚えてないそうですが、きっと、複数ある霊安室の中の1室である数字だかアルファベットだったのでしょうね。
頭の重みは取れない
目の前は霊安室
母は「これはアカン!」と、再度3Fを押してエレベーターのドアを閉めました。
幸い、エレベーターのドアは閉まり上昇もしたんですが…
ドアが閉まった瞬間、母は恐怖でその場に腰をぬかしたそうです。
点灯されていた、つい今しがた目の前に開いた先は…B2
地下2階だったんです。
長く入院していると、同じ病室のお母さん方と話をしたり、子供が回復してくれば少し安心や余裕も出てくるらしく、中には気の合う方もいたりとで、たまにお喋りする機会も増えてきて、同じ病室のお母さんに聞いてたそうなんです。
この病院は、地下1階に霊安室が2つあり、その霊安室は身元の判ってる方で、ご遺体を引き受けに来られるまでの間だけ安置される霊安室。
地下2Fにも霊安室はあるんだが、その霊安室は身元の判らない方の身元を調べる間や、献体を安置する霊安室。
と。
一般エレベーターにはB2までボタンはあれども、一般エレベーターでは地下には行けないはずなんです。
実際に地下1、2が霊安室だったかどうかは判りませんが…
確かに一般エレベーターには「このエレベーターはB1 B2には停まりません」とボタンの横に案内が貼られてあったそうです。
確かに母は疲れていたから、夢をみていたのかもしれません。
しかし、B2から1階はすぐですから、1階でドアが開いたら、エレベーターに乗ってくる人がおり、腰をぬかしている母が気分が悪くなったと思い、看護師を呼ぼうか、大丈夫か等とちょっとした騒ぎになり、落ち着きを取り戻しつつあった母は、もう大丈夫ですと売店に寄らずそのまま病室に戻ってきたのは事実です。
以後、一足先に退院した姉と後2ヶ月入院していた弟が退院するまで、一切そういう出来事はなかったそうですが、あれから30年以上経っている去年。
病気知らずの母が倒れ、搬送された病院には手術設備がないとの事で、その大学病院への転院を勧められましたが、母は違う病院を希望しました。
コメント