ドッペルゲンガー

俺は今、追われている。
追いかけてくるのは“俺”。

こんな訳の分からない切迫した状況でも、頭だけは妙に落ち着いている。

そして、なんとかこの状況を打開しようと、昨晩何度も思い出した、1年程前の会話をもう1度思い返していた。

「ねぇ、ドッペルゲンガーって知ってる?」

放課後の教室、オカルト好きな彼女の久美が、唐突に聞いてきた。

「たしか、もう1人の自分ってやつだろ?」

「そうそう!それでね、その自分の分身を見ちゃうと死んじゃうんだって!」

「へぇ、それは知らなかったな。なんで死ぬんだよ?」

「なんかね、何かの拍子に自分の命の大部分が自分から剥がれちゃって、それに浮遊霊とか動物霊が結びついて、もう1人の自分ができるんだって。
それで、偽物が「本物になりたい」って思って、本物を取り殺そうとするんだって!」

他にも、「ドッペルゲンガーは喋らない」だの、「本物と曰くのある場所に現れる」だのと、久美は自慢気に語っていた。

「どうせwikiかなんかで調べたんだろ、偉そうに語るな」
なんてバカにしながら会話したのも、遥か昔のことのように感じられるが、とにかく直面した状況をなんとかしなければならない。

そう、俺は今、自分のドッペルゲンガーに追われている。

確かに、久美の話にあったように、一切言葉を発さずに俺を追いかけてきているし、その表情は「殺す気満々」と見て取れる。
ただ、「見たら死ぬ」だの、「取り殺す」だのと、仰々しい言葉で表されていたよりはだいぶ現実的で、追いかけてくるその手には意外にもナイフが握られている。まさに「殺す気満々」、よほど本物の俺になりたいと見える。

とは言え、相手は幽霊、ナイフまで持っている。喧嘩素人の俺が真っ向勝負で勝てるとは到底思えない。

そもそも、なぜこんな事になってしまったのか。

発端はおそらく、昨日の朝だ。

寝坊してギリギリで電車に乗った俺は、正直寝惚けていた。
そして、駅に着いて電車から降りたところで、寝惚け眼のまま駅の柱に突っ込んでしまった。その時はあまりの恥ずかしさにそそくさと立ち去ってしまったが、柱に当たった瞬間、確かに感じていたのだ。

形容するなら、『ベリベリッ!』という音が一瞬で聞こえた感じ。
まさしく“自分の命の大部分が自分から剥がれちゃう”感覚。

それに、あの時うちの学校の制服を着た奴が、俺とは反対方向に走っていくのが見えた。当時は気にしなかったが、今思い返せば、制服だけでなく、靴やバッグまで俺と同じだったような気がする。
周りのギャラリーだって、ただアホな高校生が柱にぶつかっただけではあり得ないくらい、「あり得ない」という顔をしていた。

おそらくこの時、俺のドッペルゲンガーが生まれたのだ。
おあつらえ向きに、駅なら自殺者や轢かれた動物の霊がたむろしていて、それが剥がれた俺の命と結びついたとしても、なんらおかしくはない。

そして、学校。

駅でのこともあり、理不尽にむしゃくしゃしていて、一言も喋らずに登校した。
周りもそれを感じとり、空気を読んで話しかけて来ないでくれた……当時はそう考えていたが、ただ、友人達の反応が、「うわ、怒っているよ」というよりは、「あれ?」というものだったことに違和感を覚えてはいた。今思い返せばそういうことだったのだ。

教室に入ろうとしたところで、久美に会い、こう言われた。

「あれ?大輔さっき来なかった?」

久美が、他の友人達も思っていた疑問を口にした、その瞬間だった。

俺も見てしまった。間違いなく、もう1人の“大輔”、もう1人の“俺”を。

久美とは肩越し。俺の席には、生気のない、虚ろな目の“俺”が座っていた。

「見たら死ぬ」

不意に恐怖に襲われ、全身から汗が噴き出した。
周りもどよめいている。久美も含め、全員が座席のドッペルゲンガーと俺を見比べている。

叫び出したいところだったが堪え、とにかく俺は奴を見ないように校舎外に飛び出した。

「見たら死ぬ」

この言葉だけが俺を支配していた。とにかく恐怖と闘いながら走った。
家に帰ろうかとも思ったが、「本人と曰くのある場所に現れる」なんて言葉を思い出して断念する。
そうして相当走り回った挙げ句、結局行き着いたのが、子供のころに秘密基地とか言いながら遊んだ、橋の下のスペースだった。

「ここなら奴も現れない」と根拠のない決めつけをして、ようやく腰を落とした。

しばらくは恐怖との闘いだった。
風で草木が揺れて音がする度に驚き、奴を見てしまった以上、いつ死ぬのかと震えていた。そうじゃなくても、今突然奴が目の前に現れただけで、俺の心臓は止まってしまいそうだった。

そうして飲まず食わずで、いつの間にか夜になってしまった。
疲れや飢えは恐怖で麻痺してしまったのだろう、とりあえず今生きていることが有り難かった。

そのとき決意した。なんとしても生き延びてやる、と。
「生きている」、この感覚を偽物に渡して手放してたまるか。

闘ってやる。

本物は俺だ。

翌朝、俺は直接自宅へ出向いた。1日ぶりなのに懐かしい感じがしたが、それも奴が現れたところで吹き飛んだ。
予想外にも、手にはナイフを持っている。まさか心霊の類が刃物を使うとは考えていなくて、斬りかかって来たところで不覚にも思わず逃げ出してしまった。そうしたら奴も追いかけてきた。

そして現在に至る、というわけだ。

色々と考えてはみたが、どうしても打開策が見つからなかった。

ここはなんとか一度巻けないか……そう思って奴の様子を見ると、光明が開けた。

奴はかなり疲弊していたのだ。

所詮は幽霊、本物には勝てないか!
そんなことを思いながら身構え、ナイフを払って馬乗りになる。
ナイフは俺たちの後方に飛んでいった。
ここぞとばかりに首に手を伸ばして締め上げる。

絶対にこいつを殺す!
そう念じれば念じる程自分が強くなるようだ。これなら勝てる!

そのときだった。

ザクッ

自分の胸の辺りに違和感を覚えて目をやった。

見ると、自分のみぞおちからナイフの刃先が生えている。

何が起こったのか全く分からず、馬乗りを解いてしまう。
どうやら背中からナイフが刺さっているようだ。痛みはないが、胸の辺りに強烈な異物感がある。

まさか念でナイフを飛ばして…?などと考えたが、すぐに疑問は解けた。

「大輔を離せ!このバケモノ!!」

後ろには震えながら叫ぶ久美がいた。

久美が俺を刺した。
あろうことか間違えてしまったのだ。

「…久美?」

倒れている“俺”が言った。
俺もまったく同じ事を言おうとしたのだが、どういうわけか、俺の口からはその言葉が出なかった。

「心配で朝大輔の家に行ったらコイツがいて、そしたら大輔がナイフ持って追いかけて出て行くから…」
「でも……ゴホゴホ!!…よく俺が本物だってわかったな」
「だって、ドッペルゲンガーの方には、影がなかったから…」
「そうか……助かったよ、思うように体は動かないし、どんどん力を吸われていくみたいだったから…」

そんな会話が聞こえた。

走馬燈のように今までの出来事が頭を巡る。
「自分の命の大部分が自分から剥がれちゃって」
「思うように体が動かない」
「本物になりたい」
「取り殺す」
「力を吸われる」
「喋らない」
「本物と曰くのある場所に現れる」
「影がない」

倒れる直前、自分の足下を見たとき、全てを理解した。

そうか、本物は………

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